大切なのは怖がる前に備えること。東日本大震災で被災したボクが伝えたい10のコト

「 私の住む街でも地震が起こったらどうしよう 」
「 地震と連動して津波が来てしまったらどうしよう 」

その気持ちは痛いほどわかります。しかし怖がってばかりはいられません。
いきなりやってくる地震を予知することはできませんが備えることはできるはずです。

この記事では東日本大震災を福島県にある海沿いの町で『 地震・津波・放射能 』を体験したボクが、その経験を元に防災について書いてみました。

あなたの防災の少しでもお役に立てれば嬉しいです。

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目次

災害時にまずは大事にしてほしいこと

72時間を自力で生きる力をつける

 

一番大切なことは生き残ることです。家族全員で。
ボクが被災した時は救援物資が届き始めたのが3日経った頃でした。

なのでまず最初の72時間を生き抜く準備をしておく。あとは国がなんとかしてくれます。食料も3日分あれば十分でしょう。

ボクは震災当時ほぼ食料がありませんでした。なので救援物資が届くまでの3日間は1日せんべい2枚と500mlペットボトルとか。おにぎり一個と姉が持っていた板チョコを家族で分けて一欠片ずつとか。

それでも十分生き延びれました。3日後にきた救援物資のポテトチップスを食べようとしたら力が入らなくて袋を開けられなかったのはビックリしましたけど(汗)

ボクは過剰に非常食を用意する必要はないと思っています。

 

怖がりすぎない

 

怖い気持ちは痛いほどわかります。けど怖がってばかりではいけません。

大切なこと
怖いから備えること

不安なことをそのままにしないこと。不安に一つ一つ解決策を考えて消していく。

そうすれば恐怖心の全ては消えないかもしれないけど減らすことはできます。

怖がっていても何も始まりません。怖いから備える。

 

 

災害発生後に気をつけてほしいこと

避難所ではまず名簿をつくる

 

これは真っ先にやりましょう。東日本大震災のような津波を伴うものの時は特に。
ボクの住んでいた街は津波で流れてきた瓦礫で完全に道を塞がれて孤立状態。

そしてもちろん電気もない状態。津波がまた来るんじゃないかと怖くてボクは外の海が見える位置でずっとラジオを聞いて情報収集していたんです。

すると徒歩で携帯のライトを頼りにボクがいた避難所に何人も何人も夜通し家族を探しにきていました。

「 この避難所に〇〇はいませんか? 」

そんな時に活躍したのが避難所に避難している人の名簿。

これは元自衛隊員のおっちゃんが避難所ができてからすぐにやっていたんですね。

これは便利だと思いました。家族を探している人はすぐにそのおっちゃんのところへ連れていって名簿で確認してもらう。

そうすることですぐに安否確認ができるわけです。

そして遅れて避難所にやってきた人も名簿に名前を書くの忘れずに!

 



正確な情報を入手する

 

災害時はとにかくいろんな情報が飛び交っています。
そして話は人を会すごとに大きく変化していく。

一番ビックリしたのが、ボクがいた避難所から10キロ以上離れた石油コンビナートが炎上して風に乗って街を飲み込みながらこっちに火の手が迫っているというもの。

後日これはデマだったということがわかったのですが、石油コンビナートがある地域で小規模の火事があったようです。

これが災害時の非日常ではこんな風に伝わっていたんでしょう。

災害時の伝わり方
1、石油コンビナートの近くで火事があったみたい
2、石油コンビナートで火事があったみたい
3、石油コンビナートが火事で大炎上しているみたい
4、石油コンビナートの火事が風に乗って街を飲み込んでいってるみたい

こんなことがよくありました。ドンドン話が大きくなっていってしまうんです。

「 市長が倒れた 」という正しい情報が回り回って「 市長が死んだ 」になっていましたし。

雨には放射能が大量に含まれていて当たっただけでやばいとかもありましたね。

けどこれはある程度仕方ないのかもしれないです。

非日常のことが起こりすぎて被災中はみんなパニック状態ですからね。

大切なことは正確な情報を入手するということ。

ボクがやっていたのは市役所の職員さんとか自衛隊員とか消防隊員とか警察官など後ろに何か大きなものを背負っている人に聞くこと。

これらの人は立場上憶測で適当なことは言えませんから。答えてくれることは正確な情報だけです。

 

火事場泥棒に注意する。夜は一人で出歩かない

悲しいことに大災害時に必ずやってくるもの、それは火事場泥棒。
警察が機能していなかったので見つけたとしてもどうすることもできないんです。

震災時もボクの住んでいる地区は田舎なのでだいたい住んでいる人の顔がわかるんです。そんな中に明らかに目つきの違う人がいたり。

夜にライトをつけない車がきて夜な夜な津波で瓦礫と化した街へ入っていって金目のものを盗んでいく。

ボクの祖父の家が海沿いにあって、祖父の家のあった場所には家の土台しか残っていませんでした。
幸い祖父はボクの母と街に買い物に行っていたので助かりましたけど。

なので少しでも祖父の持ち物を探そうとボクは毎日のように瓦礫の中に入って祖父の持ち物を探していたんですね。

そこでよく目にしたが投げ捨てられたカラになった財布。

そして同じように瓦礫の中に入っている人の
「 金庫ごとを持って行かれた 」
「 タンスにあったお金が全部なくなった 」などの声。

信じたくないですが弱みに付け込んでくる人が必ずいることを忘れていけません。

そして警察が機能していない状態でもし夜に火事場泥棒と鉢合わせしてしまったら命が危ないです。

夜は絶対一人で出歩いてはいけません。なるべく避難所などの人が集まっている場所で夜を過ごすことがベスト。

 

避難所では一人の精神錯乱が伝染する

 

ボクがいた避難所では停電が続き、とにかく情報がなかったんです。

「 また大きな津波がくるかもしれない 」
「 また大きな地震が来るかもしれない 」
「 もしかしたら死んでしまうかもしれない 」

そんな恐怖をみんな抱えながらそんな恐怖心を打つ消すように避難所で協力しあって生活をしていました。

避難所生活数日後のある日に、60代男性がイラつきはじめ怒鳴ったり、物を投げたりし始めたんです。

この方は津波発生時に奥さんと走って逃げていたのですが奥さんは津波に飲み込まれてしまいました。そしてまだ発見されていないという状態。

それに加えて慣れない避難所生活でのストレスもあったのでしょう。ストレスが限界値を超えてしまったんです。

事情はわかっているので何もいうことができず、ただただみんなでなだめるしかなかったんです。

一人でも精神錯乱を起こすと、その恐怖や不安は避難所全体に伝染していきました。

なんとか希望を持とうとして活気を保っていた避難所全体がドンドン気持ちが沈んでいって空気が暗くなっていったのを今でも覚えています。

そんな人がいる場合は、どこか別の場所を作って一度冷静になるまでみんなから離してしまった方が良いと思います。
特に子供や高齢の方がいる場所では特にお願いしたいです。

事情はわかる。しかしそれによって避難所全体がパニックになってしまってはいけません。

 

面白いおじさんは最強です。

そんな空気になった時に場を和ませてくれるおじさんがいました。
この方は自衛隊を定年退職しているおじさん。
明るくて力強いこのおじさんは、いつも避難所の中の空気を察して明るい雰囲気、ポジティブな雰囲気にするように務めてくれていたと思います。

また、元自衛官ということもあって的確に避難所の運営をしていましたね。

災害時は場の雰囲気ってとても大事です。

そこに押し付けがましくなく、自然にみんなを笑顔にできる人。こういう方はホント最強だなと思います。

 

避難所では積極的にできることを探しましょう

 

避難所では受け身になってはいけません。

特に若い方は積極的にやれることがないか探していきましょう。ボクは何も役に立ちませんでしたが大震災当時25歳で、学生時代は空手をやってたので力だけはありました。

なので力仕事は積極的にやろうと決めていました。

・布団の運搬
・救援物資の運搬
・水の運搬など

必ず探せばあなたにぴったりのやれることがあるはずです。積極的にやることを探していきましょう。

 

子供、ケガ人、妊婦、高齢者を優先して考える

震災当日の夜、避難所はパンパンで全員が横になれるだけのスペースがありませんでした。割合にして4割くらいの人が横になることができなかったんです。

ボクはその時まだ母と祖父の安否が確認できていなくて眠ることができずにいたんです。

そうすると若い方が結構寝ていてお年寄りが横になれずに辛そうにしていたんです。

ボクは若い人を起こして場所をお年寄りに譲ってくれるようお願いしたんです。
そうすると快く受けてくれて、お年寄りを優先して横にしてあげることができました。
(全員まではできませんでした、ボクができたのは周りの数人のお年寄りだけでした。)

若い人は一日寝なくてもなんとでもなります!けど高齢の方や子供は違いますよね。

避難所では優先して場所の確保、食料の確保をしていきましょう。

 

井戸には気をつけて

 

今はもうほとんど使っていないと思うのですが街中には未だに石でできた重くて頑丈なフタがされた井戸があるところもあると思います。

ボクの街にも井戸がたくさんありました。

それが津波によって上のフタが破壊されて落とし穴のように点在していたんですね。

覗き込むとめちゃくちゃ深い!

落ちたら無傷では済まないし、自力で上がることもほぼ無理でしょう。

津波後の街は瓦礫だらけなので、きっと足元は注意していることと思いますが

井戸は細心の注意を払いましょう。落ちたらやばいです。

 

これは持っておくべき!防災グッズ

ヘッドライト

 

特にお子さんやじいちゃんばあちゃんなど守る人がいる人はぜひ買っておいて欲しいです。
なぜ普通の手持ちのライトじゃなくてヘッドライトなのかというと両手が使えるからです。

普通のライトを手で持ってお子さんの手を引いて歩ったら手がふさがってしまいますよね。
瓦礫の上を取らなくてはいけなかったりとにかく危険が沢山あります。

手をいつでも使える状態にしておいた方が良いです。そのためのヘッドライトです。

ボクは震災以降必ずバッグに入れて持ち歩いています。

「 スマホにライトがついてるからこれでいいや 」

これは正直おすすめできないかなと思っています。

まずスマホは災害時重要な連絡手段と情報収集手段です。
なのでスマホの充電はできるだけ温存する必要がありますよね。なのでライトの機能はあるけどそれとは別にヘッドライトを用意しておいた方が良いです。

ボク的にはアウトドアスペックのものなら安心だと考えています。

 

携帯ラジオ

 

これもできれば用意しておきたいところ。

災害時は「 正確な情報を入手する 」ことがホント大切になってきます。

電気が止まってしまうと当然テレビは見れない。
スマホは素晴らしい情報収集アイテムだけど
通信手段として充電を温存しておきたい。

そこで携帯ラジオを持っておく。これなら予備の電池を持っておけば数日持つでしょう。

手回しラジオは最強です!

東日本大震災時、スマホの充電が切れて
電気が復旧しなくて情報収集に役に立ったのがラジオでした。

 

消毒液

 

災害時はケガをしやすいですよね。
ボクも実は地震発生直後に膝を怪我しました。
といってもちょっとした傷で血が少し出るくらい。

大したことないのでそのままにしていたら化膿して治るまで苦労しました。
災害時はちょっとしたケガでもめんどくさいことになる可能性があります。

なのでボクは消毒液と包帯は防災バックに入れています。

 

テーピング

 

これは現在用意しているものなのですがスポーツ用のテーピングは活躍してくれるはずです。
例えば怪我した場所を保護したり、何か家とか車に置き手紙を残す時にテーピングでくっつけたりなど。

色々な使い方ができるかなと思います。

 

シュラフ

 

これも便利でした。
小さなお子さんやお年寄りが家族にいる人は特に考えて欲しいものです。

ボクは震災当日の夜家族と避難所にいたのですがものすごく寒かった。
ボクは若かったのでなんとでもなるんですが、当時70代後半だったじいちゃんとばあちゃんはかなり応えたと思います。

そんな時にボクはファスナーを開ければ布団のようになるシュラフを持っていて、これにじいちゃんとばあちゃんを包んで
寒い夜を乗り越えることができました。

こんなタイプのシュラフは『 封筒型シュラフ 』と言われます。

布団のようにシュラフは数人で使えるので良いですね。ボクも少しだけ足を入れてましたけどホントあったかかったです。

守るべき人がいる方は是非考えてみてください。

 

除菌スプレー

 

大震災の時は水道が復旧するまで2ヶ月かかりました。それまでは給水車と自分で汲みにいく水だけが頼りです。なので水はなかなか貴重な存在。

そうすると手洗いがほぼほぼできなくなるんです。

ボクの祖父の家は土台を残して跡形もなく流されてしまいボクは毎日瓦礫の中に入って、祖父の持ち物を探していました。そうすると手がめちゃめちゃ汚れます。

そんな時に役に立ったのが手洗い用の除菌スプレー。これは確か救援物資でもらった気がします。これが便利でしたね。すぐに手の殺菌ができちゃう。

感染症とか、食中毒など災害時は普段よりも気をつけないといけないので除菌スプレーは確保していきましょう。

 

サランラップ

 

これも便利でした!水がないと食器も洗えません(汗)
そんな時は食器にサランラップを敷いて食材を乗せる。
食べ終わったらサランラップだけとって捨てればいいわけです。

 

番外編。これあると便利

自転車

 

災害時は車で移動がなかなか難しい。渋滞したり、瓦礫があって通れなかったり。

そんな中自転車が大活躍しました。

ボクは当時自転車を持っていたのでこれでどこにでも行けました。

まあ災害のために自転車を用意しておくのはちょっとおかしいですが普段自転車を使っている人はきっと災害時役に立つはずです!

 

レインウエア・長靴

 

災害時は雨が致命的です。

すぐに着替えられなかったりする状況だとすると濡れたまま何時間も過ごすことになります。

夏場はともかく、冬場は生死に関わってきます。大震災後の特集番組で、宮城県震災直後の映像で全身濡れたおじいちゃんがそのカメラに向かって

『 毛布ないか?寒くていられねぇんだ 』と言ってブルブル震えていた映像が未だに頭に残っています。

津波の場合は着替えるしか方法がありませんがその他の災害でしたらレインウエアさえあれば濡れることなく移動もできます。

 

黒電話

 

これは今から導入するのは無理ですけど震災の時にめっちゃ役に立ったので一応載せておきますね。

一般的な固定電話だと動くのに電気が必要なので電気が止まってしまえばアウトです。

しかし黒電話は電気がなくても動くんですよ!

ボクの家では当時黒電話を使っていて連絡を取るのに重宝しました。

同じ避難所の人に使ってもらっていたほどです。もし今黒電話を使っている人は災害時にかなり役に立ちます!

 

家に溜め込んだモノに殺されてしまいかねない

一番言いたいのがここです。背の高い家具を壁に設置したり収納テクニックを駆使して綺麗に天井まで並べられたコレクション。

それって災害時に自分に襲いかかってくるかもしれないってことをもう一度よく考えておきましょう。

下手したら家に溜め込んだモノに命を奪われてしまいかねません。自分なら百歩譲って良しとしても家族がと考えたらどうでしょう?

モノを減らして生きる

これって防災的にもかなり有効なんです。

 

「まさか自分が」は誰にでもくる可能性がある

ボクも正直被災するなんて思っていませんでした。テレビの中の話だと思っていました。

けど自分が実際に被災して思ったのは誰にだってくる可能性があるんだなってこと。

「 まさかボクは大丈夫 」
「 まさか私がそんな 」

けどね、誰にでも可能性はあります。そのくるかもしれないものに怖がるんじゃなくて備えるんです。

今からでも遅くはないですよー。過剰の備えは無駄だと思いますけど適度な備えはむしろ必要経費です。



怖がりすぎてあれもこれも買わないことも大切です

怖がり過ぎてしまい防災グッズを大量に買い込んでいる人もいますがボクは最小限で問題ないと思っています。

上でも触れましたが、最小限でも生きていられました。

災害時にお腹一杯になる必要はないと思うんです。通常と同じようなご飯を食べる必要もないと思うんです。

最低限生きられればそれでOK。そんな考えからボクは備えも最小限です。

 

災害時に役立つアウトドア用品を普段使いする

ボクはアウトドアブランドのモノを愛用しているんですがこれって災害時のためってのもあるんです。

日常生活でアウトドアファッションをしておけばいざ災害時もそのままでも十分対応できるわけです。

例えばボクはノースフェイスのマウンテンレインテックスジャケットを着ています。
ゴアテックスのウエアなのですが災害時はこのままレインウエアとして使えます。

愛用している革靴Dannerもゴアテックスで完全防水。
そしてビブラムソールで瓦礫の上だって歩けます。

シュラフメーカー『 NANGA 』が作ったダウンジャケットは災害時ムスコを包むシュラフになります。

 

 

災害伝言板ダイヤルの使い方ガイド

みなさん災害用伝言ダイヤルって知っていますか?

災害用伝言ダイヤルとは?

地震、噴火などの災害発生により
被災地への通信が増加し、繋がりにくい状況になった場合に
提供が開始される声の伝言板です。

『NTT東日本』より引用

災害時はホント電話がつながりません(汗)
大震災の時も全くと言っていいほどつながりませんでした。
そんな時に活躍するのがこちらの伝言板ダイヤル。

基本的な操作方法を紹介しておきます。

『東京防災』より画像引用

ただし、残念ながら格安SIM会社の場合は
この災害用伝言ダイヤルが使えないようです。
(試験的にかけてみたらラインモバイルは繋がった!なぜ?)
そんな時は『 災害用伝言板web171 』を活用しましょう。

 

まとめ

テレビやネットから流れてくる地震の情報をただただ流し見るんじゃなくてこれを機に自分の災害用品を見直してみましょう。

災害は怖がるんじゃなくて備える。

ボクも改めて災害用品を見直してみたいと思います。

本日も最後まで読んでいただきありがとうございました!

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